代表挨拶

 

Jstudio Kokura
代表 畠山 淳子

私が5歳、幼な子だったある日のことでした。

近所のお友達姉妹の家へ、いつものように遊びに行きました。

すると、その日はいつもとは違いました。

「今日はね、テレビでタカラヅカがあるから遊べないの。じゅんこちゃん、また明日ね」

と玄関を閉め、家に入れてくれませんでした。

私は驚くやら、「タカラヅカ」というわけがわからないもののために、二人から追い返されて悔しいやら、悲しいやらで、泣きながら家に帰りました。

家に帰って母に次第を話すと、

「まあ!そう!タカラヅカがあるの⁉︎」

母までも私をほったらかして、そそくさとテレビの前に座りました。

私は母にまで相手にされず、ますます寂しくなって、

「ねー!おかあさーん」

とテレビに夢中になる母にまとわりついて、ふとブラウン管テレビの画面が目に入り、吸い込まれるように見入っていきました。

華麗なドレスをまとった美しいお姫様、壮麗な宮殿のセット、この世のものとは思えない美しい王子様、華やかな舞踏会。

それは私が絵本で知って憧れ、遠い遠い外国のどこかにあると聞いた特別な世界でした。

この人たち、日本語でしゃべっている!

私は夢中に見入っている母に、尋ねました。

「ねえ、おかあさん。どうしたらこの舞踏会に行けるの?」

母は上の空で、宝塚歌劇団に入ったら出れるのよ、と答えました。

私は即座に答えました。

「あたし、そのタカラヅカにはいる!」

それが、私と宝塚の出会いでした。

穏やかな少女時代は過ぎ去り、疾風怒濤の思春期の時代、私は親と葛藤したり、不登校になったり、平坦とは言えない日々を送りました。

そんな時も、宝塚のビデオとレコード、1〜2年に一度九州にくる全国ツアーは私を支えてくれました。

美しくも悲しい舞台に涙し、レビューショーにうっとりして、宝塚はいつも私を優しく力づけて、日常に送り出してくれました。

大学生になり、医師になって、仕事に追われる日々になっても、時間を見つけては宝塚に通い続けました。

宝塚はずっと変わらず、私を支えてくれました。立場は違えど同じような思いを抱えた女性の物語を見せてくれ、私の知らない未来、出会えるかもしれない世界を教えてくれました。ささくれ立った心の時も、あくまで美しく胸踊るレビューショーはいつも私を温め、勇気をくれました。

足繁く劇場に通ううちに、私は運良く多くのタカラジェンヌと知り合いました。

タカラジェンヌ。美しいだけではなく、舞台を素晴らしいものにするために努力を惜しまない、ひたむきで礼儀正しい彼女たちの素顔を知るにつけ、ますます宝塚が好きになり、生きる力をいただいた思いがします。

2002年、私は念願の子供や女性、思春期に特化した精神科クリニックを開業をしました。今日まで、それは平坦な道のりではありませんでしたが、幸いにも私が経験したことは思春期の子たちに寄り添うために生かされました。人生において無駄なことは何一つないのですね。

私はこの天職を通して、引きこもりや不登校、居場所のなさに悩む子達に出会う中で、「あこがれ」や「希望」が、どれほど人の成長に必要なのか、痛いほど学ばされました。

「あこがれ」と「希望」を私に送り続けてくれた宝塚。

医療の場で子供達が教えてくれたこと。

この二つが、急速につながり、熱を発し、私の中に新たな「願い」が生まれてきました。

「この街から、もっとタカラジェンヌを輩出したい。

多くの人にもっと宝塚の素晴らしさを知ってほしい」

私がJstudio Kokuraを創設したのは、そうした想いからです。

子供たちにもっと、あこがれと希望を。おとなたちにも、夢と情熱を。

宝塚音楽学校を目指す生徒さんたちに「本物」の学びの場を提供し、宝塚を愛する全ての人たちの「愛」に応える場となるよう、全力を尽くしてまいります。

代表 畠山淳子